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2013年9月12日木曜日

謝謝財団構想 どうやって、対象となる学生たちを選んでいくのか。みんなが納得いく選び方

謝謝台湾財団構想 
今回は「どうやって、対象となる学生たちを選んでいくのか。みんなが納得いく選び方」
について書きます。

随分と時間があいてしまいましたが、謝謝台湾財団構想の続きです。
前回までの話は、ブログやFBページにも書いてあるのでよろしければ是非。


財団を設立し、(スカラシップのようなかたちで)日本へ送る学生達を、応募してくれた中からどのようにして選考していくのか。
大事なところですよね。特に誰が選ぶのか? 最も重要です。

ロビー活動を精力的にした学生が選ばれるなんて事になってはいけない(笑)

面接を繰り返し、選考進めていくのもやりたいと思っていません。
僕が選ばれる立場だったら、何でお前なんかに選ばれなくちゃいけないんだ って思う時もあるし。
就職活動・入学試験の面接だと、次の選考に進めるかどうか、合格かどうか面接官に決定権がある。
「あなたに、私のポテンシャル見抜けるの?」って思いません?
面接で落とされてもフィードバックがないわけだし。
そこまで面接官は優秀な人いないし(笑)もちろんその会社内では“優秀”かもしれませんけど、たいしたことないから。

人なんて、いくらでも成長するでしょ。学生の頃なんてなおさら。
例えば4月の選考では1だった魅力が、3ヵ月後の7月に5や10になってたりする事は、普通にありえる。
どんどん伸びていく学生達を、ちょっとだけ人生の生きている時間が長い人から評価するなんて失礼なくらいな事だと僕は思います。


この財団の根幹にある価値観は「継続的できるかたちでの台湾へ恩返し」で、将来の台湾と日本の関係を担う世代へ貢献することです。

台湾から日本へ行く学生にも、次世代を担う人物にふさわしい人に行ってもらいたい。
だからそうゆう学生達に応募してもらいたい。

その理念を基にした判断し、選考していても、絶対にその人の主観が入る。
選ぶなんて、客観ではなく主観ですからね。

それに選考される側は納得しづらいでしょう。
落ちたとき、どうしてだーって思うでしょ。理由が聞きたくなる。


だから、選ばれる人たちが自ら選ぶようにしたい。
例えば、8人でグループワークする。そのグループワークを通じて、次の選考に進むのにふさわしい人見極めていく。
最後に投票する。一人に2票与えて、1票までは自分へも投票できる。もう1票は誰かに投票しないといけない。もちろん2票とも自分以外でもOK。最多投票の人が(複数でもOK)次の選考に進む。

そうなると、誰がふさわしい人なのか、グループワークを真剣に取り組むし、人をみていかなくてはいけない。

選考から投票結果が判明するまでのプロセスで、各々いろんな気づきが生まれます。
選ばれる人とはどうゆう人物なのか、とか。
自分は2票とも自分以外に投票したのに、他の人から自分に投票してくれた人がたくさんいたり。
自分の評価と他人の評価の違いを知り、次への糧にする。

自分達で時間を共有した者同士で選ぶのなら、納得できる。
(それでも納得しない人はいるかもしれないけれど、納得しやすいでしょ。)

選ばれる人・選ばれなかった人が納得し、両者も自己成長につなげてもらえる選考プロセスを作っていきたいです。

選ばれた学生には、日本で素晴らしい経験をして欲しいし、
選ばれなかった学生には、それから自己研鑽を積んで社会を牽引するようなリーダーになっていってもらいたい。

そのための小さなきっかけが、この謝謝台湾財団のスカラシップ選考であって欲しい。
目指すは、選考だけでも受けたい!と思ってもらえるようなクオリティーへ持っていくこと。

そして応募してくれた人たち全員のためになるようなものにしていきます。

2013年7月11日木曜日

謝謝台湾財団構想  今回は「財団は前から将来の夢として持っていた。」

謝謝台湾財団構想 
今回は「財団は前から将来の夢として持ってきた。」
について書きます。

財団という発想は、前から持っていました。
今からみると、5年前くらいからかな。

実際2011年カナダを横断した際、9月ビクトリアのCityHallで、みなさんの前で 「将来の夢は財団を作ること とも申し上げました。

僕には、手に職がありません。
何かを開発できるようなスキルはない。
新しいサービスを作れるスキルもない。
包丁さばきがうまく、おいしい料理で楽しませられるスキルもない。
ドクターとして、患者を救えるスキルもない。
おいしい野菜が作れるわけでもない。

じゃあどうやって、人に喜んでもらえるのか?
どうやって社会に貢献していくのか?

そこで考えていたのが、「お金に意志を持たせ、使っていくこと」

僕が関心のある分野は、
まず環境、教育です。

自分が人に貢献して得られた経済的価値のお金に
意志を持たせた使い方をしていく。
それなら僕にでもできそう。

その規模が大きくなっていくと、財団になる。

そう考えていました。

もちろん、はじめはなーんとなくだった財団。
ビクトリアで話したときも、なーとなくです。

それがこの1年少々、ぐぐっと具体的なイメージができるようになりました。
ロードマップが思い浮かべられる。
もわ~としていたものから、具体的なステップが見えてきている。

やってみたいですね!
ゼロから初めて、財団まで行ったら、すごいと思う。
そのストーリー自体で、目指しているものや夢を持つ人に、希望やエネルギーが届けられるはず。
そしたら少しは日本のためにもなるでしょ。

次回は、「どうやって、対象となる学生たちを選んでいくのか。みんなが納得いく選び方」について

2013年6月30日日曜日

謝謝台湾財団構想 (続き、きっかけになった出来事)

謝謝台湾財団 (続き、きっかけになった出来事)

「台湾で日本語学ぶ学生たちへ日本へいくチャンスの広げてあげられるような財団が作りたい。」
と思うに至ったきっかけになった出来事。

昨年5月、台湾を1周している際
観光課や国際課の人たちを連絡をとりながら、市・縣政府にお邪魔する日時を調整していました。

基本的にメールで、日本語を使っているところばかりでした。
ほとんどの自治体で、日本語を話せる人が台湾にはいます。
ホームページをみても、日本のページが用意されているところばかり。
地方政府のスタッフに日本語が話せる人は当たり前にいます。
(それだけでもすごいことですけど)

そんな中、ある自治体で一人のスタッフとの出会いが、
学生の日本へ来るサポートを謝謝台湾財団の発想のきっかけになります。

メールでは、漢字、ひらがな、カタカナ、問題なく使い分けている人がいました。
会って話してみても、全く不自由しない日本語。

そこで、日本にどのくらい行ったことがあるのか、たずねてみました。

彼「一度もありません。」
あんべ「どうやって勉強したの?」
彼「大学で。」
あんべ「それだけ?」
彼「はい。行きたいんですよね~、日本。」

台湾の大学には日本語学科はたくさんありますが、
日本語を学ぶ学生たちでも日本へ行ったことがない人はたくさんいる事を彼との話して知りました。

じゃぁ、彼らに日本へ行ってもらうチャンスを増やしてあげられれば、喜んでくれる。

日本と台湾の新時代を築いていく、若い世代への投資は最も価値のあることのひとつ。
というのが、きっかけの出来事でした。


(続きは次回、「財団という発想は、前から将来の夢として持ってきた。」)

2013年6月28日金曜日

台湾で財団がつくりたい

謝謝台湾として、
台湾で日本語学ぶ学生たちへ日本へいくチャンスの広げてあげられるような財団が作りたい。
若い世代に思いついでいくことは、台湾と日本の関係に最も価値のあることだと思う。

なぜなら彼らが未来を作るから。
日本と台湾の新時代を築いていくから。
(国は台湾だけに限っていませんよ、カナダでもいいし)

僕は何もないところから、2年前にカナダ横断しはじめて、今ここにいる。
未熟者だし、何ができるって、たいしたことはできないけれど、

それでも何もないところから財団作るまでいったら、
そのストーリーだけで夢を持っている人たちへ勇気と希望を与えられることにもなると思う。

財団も、設立経緯にもそういったストーリーや理念がこめられるので、喜んで下さる方はいるはず。
それに僕に何かあっても、引き継いでくれる人は出てくると思う。

このストーリーは他の人にはできない、僕にしかできないことだから、なおさらやりたい。
自分のポケットに入るお金がなんて一銭もいらないから、
ひとりで始まり、奇跡のつながりで創られてきている、国をまたぐ交流を、未来へつながる形にまでしたい。

(もっと詳しいことは、また次回に)

2013年2月3日日曜日

東日本大震災 海外からの援助まとめ

東日本大震災 海外からの援助をまとめてみました。

ソースは、寄付白書2012と2011年の人口統計を利用して、
主な地域別、国別、総額、人口一人あたり換算をしています。




◆北米
民間からの援助は、北米(アメリカ・カナダ)がすごい規模になっています。
アメリカは、原発の技術的支援、米軍の被災地支援(トモダチ作戦)など民間経済的な援助以外にもサポートがありました。
カナダも人口はアメリカの約10分の1ですが、親日な国のひとつである事を示すように大きな支援だったことがわかります。日本の隣国 韓国や中国よりも人口は少ないですが、規模は大きくなっています。カナダ政府から物資の支援もありました。

◆アジア
そして何と言っても台湾。
政府系と民間をあわせて、国民ひとりあたり日本円にして1500円越える額になっています。
台湾の平均所得は約200万円と言われています。日本の平均所得と比較すれば、2500円ぐらいに換算できます。
日本人でも義援金を2500円以下だった人も多いのではないでしょうか。
台湾がいかに親日、もっと言うと愛日であるかがわかります。

台湾からこうした支援が届けられた背景には、1999年の921大地震があります。
午前中に起きた地震に、日本の救援隊はその日中に被災地へ入りました。
今こそ自分たちが恩返しする時だと、311震災へ多くの寄付が集まったと言われています。

◆中東
民間からではありませんが、政府の巨大な支援として中東地域から届けられたものを特筆しています。
クェートは原油500万バレルを提供、日本政府はその400億円分を基金として被災3県へ配りました。
カタール政府からも80億円の経済的援助。
こうした中東地域の、面積も人口も小さな資源国からの支援が届けられており、国民一人あたりに換算すると、桁違いになってしまう規模になります。

◆アフリカ
武装勢力・人質事件のあったアルジェリア政府からも8億円の寄付があります。

◆欧州
スイスが一人あたり250円を越える額になっています。
イギリスとフランスが、全く同規模になっているのも少し面白いですね。
人口は多いけれどたの国と比べて小さい規模のイタリアやスペイン、半島部にあたり地域の経済が特に弱かった事を反映しているのでしょうか。

◆南米
南米からは他の地域に比べると大きな支援にはなっていないようです。
国民ひとり換算していも1円に満たない規模になっていました。


◆◇最後に◆◇
これ以外にも物資の支援や、国際機関を通さずに直接被災地へ送られた援助もたくさんあります。実際に自分も少しだけ日本での手続きのお手伝いをさせてもらっています。
世界からさまざまの支援がこうした形で届けられているのは、本当にありがたい事です。
これは世界の人たちの暖かい気持ち、日本人がこれまで世界で積み上げてきた信頼などがあると思います。
一人の日本人として、それに見合う振る舞いを行っていきたいです。

2012年7月26日木曜日

台湾1周記 交流協会の情報誌に掲載

台灣を1周した様子を、交流協会の「交流」という情報誌に載せていただく事になりました。
まず東を周り、高雄までの前半部分が昨日発行の7月号に掲載してあります。
こちら真ん中あたり
直接PDFで見るには、
こうしたかたちで報告できる場を下さった交流協会東京本部のみなさまに感謝。

プロの目線で見てくださった有川真由美さん、ありがとうございました。

後半は今書いてる最中ですが、
旅の中でのつながりも書きつつ、カナダ・ビクトリアで見たものを遠く離れた台湾・嘉義で再び?!
「導かれた旅だった」という事も書いてます。
安部にしてはよくかけてるね と思えたら、シェアしていただけると嬉しいです。

2012年5月22日火曜日

20120522 台北市からメッセージ

台北市政府へお邪魔しました。

台北101のすぐ隣にある台北市政府 



かなり早く着きましたので、入り口で少しゆっくりしていると。

蝶々が・・・(笑)


そして倪 副秘書長にお会いできました。

倪 副秘書長は東北大学に留学経験がおありで日本語もお上手でした。

僕が生まれる前に留学されていて、宮城県沖の地震も経験されてたと。

東日本大震災では台湾では人一倍、

被災地への気持ちも強くお持ちのではないかと思いながらと

その話をうかがっていました。

2012年5月21日月曜日

20120521 新北市からメッセージ

新北市を訪問

市政府の建物は、高層ビル。

見上げちゃう・・・・

33階からの眺めは、周辺地域すべてが見渡せる絶景です。

台北101も見えます。



秘書處国際事務科 柯 科長がメッセージを書いて下さった。

柯 科長 とてもにこやかな方でした。

言葉は通じないのですが、お会いできていた時間の空気はとてもなごやか。

人柄には、言葉は関係ありませんね。



観光らしい観光は全くしていないこの台湾1周なので、

すばらしい景色を見せてもらって、かなりテンションがあがりました(笑)

ありがとうございました。

2012年5月19日土曜日

20120518 新竹縣よりメッセージ

新竹縣政府を訪問

その前の時間帯からすごい雨で、

 濡れた僕を温かく迎えてくださいました。

徐秘書長が書いて下さった


今回は、カードもオリジナル。

5/20まで行われている2012新竹縣客家桐花祭のカード

鳥取県や青森県とも交流があるとうかがい、

送り先はその青森県と福島県太平洋沿岸部へ。

20120518 新竹市からメッセージ

新竹市政府を訪問

新竹市から、ずっと前からご連絡いただけておりました。

僕が到着する前には、市の防災計画の発表がされていました。




游副市長がメッセージを書いて下さった。

許市長からはじきじきにお手紙をいただけた。

市長室前で游副市長と。

ところで、政府の建物なんですが、

日本のみなさん、どこか懐かしい感じがすると思いませんか?

日本人が建てたらしいです。

我が母校成蹊大学の本館にも雰囲気が似ていて、

こうゆう建物が台湾にあり、今でも利用されていること、
(このような建物は今でも台湾にたくさんある)

台湾になおさら親近感が湧いてしまいました。

2012年5月18日金曜日

20120518 新光三越新竹店よりメッセージ

新光三越 台中中港店に続いて新竹店でもメッセージをいただけました。

店内案内の鄧雅文さん

日本語も上手な方です。

「すみません」って謙遜しながら、

丁寧に日本へのメッセージ書いて下さいました。

2012年5月17日木曜日

20120517 苗栗縣よりメッセージ

苗栗縣政府を訪問

民政處 張處長が書いて下さった。

張處長はとても愉快な方。

まわりのみなさんも笑っていました。

僕は言葉はわかりませんが、冗談を言ってるのかなぁとか

わかりました。


今回はポストカードは苗栗のデザイン

2012年5月16日水曜日

20120516 臺中市(台中市)よりメッセージ

臺中(台中)市政府を訪問しました。

建物はすごい近代的。

かっこいい。

 

蔡 副市長にお会いできました。

まず冒頭、蔡副市長から僕が送った手紙について褒めてくださいました。

浦和の自宅で書いた手紙が、海を越えて台湾へ届き、

臺中市でこうしたかたちになったこと、

本当に感激です。


この面会を有意義なものにできたのは、

昨日訪問した日本人学校で伺った、

東日本大震災直後の臺中市のみなさんの雨の中祈っていたお話です。

校長先生、教頭先生に改めて感謝してます。


台中市で著名なサイクリストPINKYさんともご一緒できました。

きれいなお部屋に汚れた自転車で、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。


蔡副市長は、丁寧に手紙の文面も考えてくださっておりました。

本当にありがとうございます。

市政府スタッフ、記者、通訳の林さん

市政府内部はこんな感じ。

20120516 新光三越台中店からメッセージ

これまで自治体を訪問してメッセージ書いていただいていましたが、

それだけでなく民間で多くの人が利用するところでも

台湾と日本のポストカードの交流をやってみようと、

新光三越台中店へ伺いました。
顧客サービスのお二人

徐さん、日本語上手だったので僕のやっていることの説明をして、伝えていただきました。

メッセージは日本語ですらすらと書いてくれました。

そして、顧客サービス 課長

僕が勤めていた○勢丹の同じ部署のマネージャーがこんな方だったら・・・

こんなきれいな人がいるなら、別の三越も行ってみようかな・・・。

20120515 台中日本人学校訪問

台中の日本人学校へお邪魔致しました。

ちょうど生徒たちが帰ったとき先生方がお見送りされていたときに僕が自転車で到着。

みなさんが並んでいらっしゃるところだったので、ちょっと恥ずかしい感じもしながら・・・。

今回は時間の少し前に到着して段取り考えて入るとかではなく

自転車乗ってるテンションのままでIN

目的はこれです。
東日本大震災で台湾からのサポートが世界最大だった理由は、

1999年の台中大地震で日本の救援隊がその日中に被災地へ入ったことが

ひとつだといわれています。

1999年台中大地震の際、当時の日本人学校も被災。

その後すぐに別の場所に日本人学校が再建されることになり、

その時に李登輝元総統が、直々に題字を書かれた。

その後、台中縣が台中市へひとつになり、

新しく題字を書いていただいたもの。

ちょうど僕が台北の交流協会へご挨拶にうかがった日の午前中に

これを校長先生が取りにお見えになっていた。

わざわざ金庫から出して見せてくださいました。

本当にありがとうございました。

1999年台中大地震、日本と台湾の関係、

2011年東日本大震災、台湾からの世界最大のサポート

その象徴的な場所のひとつが台中の日本人学校です。

2012年5月15日火曜日

20120515 彰化縣よりメッセージ

彰化縣政府を訪問

頼秘書長にメッセージを書いていただきました。

頼秘書長、日本語も少し出来る方で、

後で伺ったところ先生をなさっていたと。

才をお持ちなのも納得いきました。

福島県の市町へ書いていただきました。

縣政府に勤める二人(周さん、曹さん)は投函まで見届けくれて、

郵便ポストへ入れるところもお願いしました。

今回全く僕が写った写真載せてないですね・・・(笑)