2013年6月30日日曜日

謝謝台湾財団構想 (続き、きっかけになった出来事)

謝謝台湾財団 (続き、きっかけになった出来事)

「台湾で日本語学ぶ学生たちへ日本へいくチャンスの広げてあげられるような財団が作りたい。」
と思うに至ったきっかけになった出来事。

昨年5月、台湾を1周している際
観光課や国際課の人たちを連絡をとりながら、市・縣政府にお邪魔する日時を調整していました。

基本的にメールで、日本語を使っているところばかりでした。
ほとんどの自治体で、日本語を話せる人が台湾にはいます。
ホームページをみても、日本のページが用意されているところばかり。
地方政府のスタッフに日本語が話せる人は当たり前にいます。
(それだけでもすごいことですけど)

そんな中、ある自治体で一人のスタッフとの出会いが、
学生の日本へ来るサポートを謝謝台湾財団の発想のきっかけになります。

メールでは、漢字、ひらがな、カタカナ、問題なく使い分けている人がいました。
会って話してみても、全く不自由しない日本語。

そこで、日本にどのくらい行ったことがあるのか、たずねてみました。

彼「一度もありません。」
あんべ「どうやって勉強したの?」
彼「大学で。」
あんべ「それだけ?」
彼「はい。行きたいんですよね~、日本。」

台湾の大学には日本語学科はたくさんありますが、
日本語を学ぶ学生たちでも日本へ行ったことがない人はたくさんいる事を彼との話して知りました。

じゃぁ、彼らに日本へ行ってもらうチャンスを増やしてあげられれば、喜んでくれる。

日本と台湾の新時代を築いていく、若い世代への投資は最も価値のあることのひとつ。
というのが、きっかけの出来事でした。


(続きは次回、「財団という発想は、前から将来の夢として持ってきた。」)

2013年6月28日金曜日

台湾で財団がつくりたい

謝謝台湾として、
台湾で日本語学ぶ学生たちへ日本へいくチャンスの広げてあげられるような財団が作りたい。
若い世代に思いついでいくことは、台湾と日本の関係に最も価値のあることだと思う。

なぜなら彼らが未来を作るから。
日本と台湾の新時代を築いていくから。
(国は台湾だけに限っていませんよ、カナダでもいいし)

僕は何もないところから、2年前にカナダ横断しはじめて、今ここにいる。
未熟者だし、何ができるって、たいしたことはできないけれど、

それでも何もないところから財団作るまでいったら、
そのストーリーだけで夢を持っている人たちへ勇気と希望を与えられることにもなると思う。

財団も、設立経緯にもそういったストーリーや理念がこめられるので、喜んで下さる方はいるはず。
それに僕に何かあっても、引き継いでくれる人は出てくると思う。

このストーリーは他の人にはできない、僕にしかできないことだから、なおさらやりたい。
自分のポケットに入るお金がなんて一銭もいらないから、
ひとりで始まり、奇跡のつながりで創られてきている、国をまたぐ交流を、未来へつながる形にまでしたい。

(もっと詳しいことは、また次回に)

2013年6月26日水曜日

僕がメディアに載るということ。

僕がメディアに載るということ。


誤解を恐れずに書きますと、僕はメディアに載りたいと思っています。

それは“日本人として”、311震災への支援へのありがとうを伝えたいと思って、自転車で走っているからです。



同じような事をやった人、結構います。
カナダ横断も、台湾1周も、アメリカを自転車で走った人もいます。(台湾はランニングで1周された人も)
僕よりもTwitterのフォロアー多い人もいるし、日本のメディアに載っている人もいます。

でも、それをすべて一人でやった人は、今のところ知りません。
加えてニュージーランドも1周しているし。



こんな事思っている人がいると思います。

Q:お前、新聞に載りたくてやっているか?

A:(誤解を恐れず言えば)はい。そうです。



Q:有名になりたいのか?

A:そうではないけれど、日本人がこうして感謝を表現していることを知ってもらうには、これだけ続けている人の名前が出てくるのは、仕方がないことだと思います。
他にそんな人見たらないから。


Q:自分のためにやっているんじゃないのか?

A:僕がやっていることを知ると多くの人が喜んでくれることを、僕は知っています。
人に喜んでもらいたい。
それが僕の喜びであり、モチベーションです。




日本人としての誇りを教わったことはありません。
愛国心を育むような教育も受けた覚えもありません。
でも僕は僕なりに日本が好きです。
日本人でよかったと思います。

日本のためになることがしたいと思っています。
日本人として恥ずかしくない振る舞いをしよう、いつもそう思っています。

海外で暮らしたことのある方で、僕よりももっと強く思ってらっしゃる方は多いと思います。
何十年と暮らし、その土地でしっかりと日本人として生きてこられた。
そうゆう方に比べたら、僕のやっていることなんて、微々たるものです。
でもそうゆう方が特に喜んで下さる。
恐れ多い限りです。


少し話はそれますが、
そうゆう方からお話を聞かせていただくのは、最高の財産です。
お金に換えられるものではありません。


突然自転車乗ってきて、いきなりそうやって話をして下さるんです。
僕が変なやつだったらどうするの?って(笑)
もちろん、そうじゃないけど。


僕がやりたいこと、持っている思いや志。
それを行動で現実にできているから、みなさん信用してくださるだと思います。


スポンサーないってのもいいのかな。
日本人のやっていることなんだら、どこかの会社のサポート受けてやるべきことじゃないでしょ。
311は日本の災害であって、特定の会社の災害じゃないし。
正直なところスポンサーあるといいと思う時、多々ありまし、探していた時もありますが(笑)

何かに縛られるのは、時々面倒になります。
使っているところ、レポートしろとかね、マークみせろとか。
それよりも大切なことあるから、スポンサーないほうがいいのかもしれませんね。


話をもとにもどして、

スポンサーもなく、自転車に日本人として「ありがとう」のメッセージをつけて、走ること。
それを2年間、4カ国のべ15000KMに続けていること(このアメリカカナダ西海岸が終わったら16000KMになります)

この数字で、日本人としての気持ちを伝えられるのは僕だけですし、
(偉そうな表現でごめんなさい)

この現実を持っていけば行く先々の方々は、さらに喜んで下さると思って、ペダル漕ぐんです。


もう「有名になりたい」とか、とっくに通りすぎてしまいました。
そうなりたいって気持ちもありましたよ。
それは自転車で走る前の時のほうが、大きかった。
自転車で走っている時は、2年前のカナダ横断中、2011年9月ごろ思っていたかな。
カナダから帰る前には、日本ではなんもないだろうなって気づき始めていました。

そうゆう時期もあり、それでもニュージーランド、台湾へ行った。
台湾は、その時から見てくれている方ならわかると思いますが、
新聞、テレビ、ラジオ載りまくりました。

メディアの取材を受けると、時々ボツるんですが、
たぶん台湾はそれがほとんどなかった。
知らない間に、日本のYAHOOニュースの中にもあった。
で、もう有名になりたいとか通りすぎたんですよ。
有名になりたいだけなら、台湾で終わりでいいですよ。
カナダ横断はじめる前から、台湾終わった時までで、ちょうど1年ぴったり。
タイミングもその時でよかった。


いくら載ったってお金にならないし、スポンサーがないからスポンサーからもご褒美があるわけでもありません。

でもね、今アメリカを走っているんです、僕は。
そこで出会った人にも出会わなかった人にも、日本人のありがとうを伝えたいから。

出会わなかった人のなかに、僕のストーリーを知って喜んで下さる方いるんです。

だから広く知ってもらうためにメディアに載りたいと思っているんです。
新聞に載ったのをみて、追いかけてきてくださる方だっていました。
ラジオに電話インタビューが放送されて、泊めてくれた人もいました。
テレビニュースになって、声かけてくれた人、一緒に写真撮った人、もうたくさんいました。
FBでメッセージしてくれる人がいました。

そうやって、僕のストーリーで喜んで下さる方がたくさんいる。
だから、僕が出会えない人たち(この人たちのほうが圧倒的に多いわけですけど)のために、
知ってもらうために、メディアに載る。
それが、日本の誇りを、日本人の大和魂や礼儀正しさを伝えることになる。

こうゆう感覚は、やっている本人にしかわからないかもしれませんが・・・。


大丈夫!1日したら僕の名前なんて忘れているから(笑)
有名になんかならない。


大切なのは日本人の気持ちと行動。
それを届けられればいいんです。

「ThankYouっていう日本人いたなぁ~、名前なんだっけ?」って。それでいい。

2013年6月13日木曜日

川の流れの中の石。

サンフランシスコは非常に充実しています。
本当に素晴らしい出会いに恵まれています。
感謝してもしきれいない。
これが僕の後世までつづき財産になります。

もう他のもの要らない!(笑)
こうして僕と一緒に時間をさいてくださる事に、ありがたいなぁって思いながら
いつもお話やお食事をさせていただいています。


人は川の中の石のような物だと僕は思っています。
はじめは、かなりゴツゴツして角がたくさんある。
それが流れに乗っていくと、少しずついろんな石とぶつかり削れていく。この石の中はすべてダイヤの原石なのだけど、それは自分で磨かないと輝かない。

流れが落ち着いているところにとどまると、楽。

でもだんだんコケが生えてくる。
それがまた味があっていい。


緩やかな流れの中と急な流れの中では、出会う石の数とかたちが違う。
自分で流れを選べる。
どの流れを選んでもいい。ところどころ待ち構えている石だってある。


自分が輝くために、原石を磨くために、どの流れを選ぶかはその石次第。
その選び方も、またそれぞれ。

僕はどんな流れに身をおいていると、心地よいのか少しづつわかってきた気がします。
そのために必要なことも少し見えてきている気がします。 

これから大変そうだ(笑)

2013年6月6日木曜日

サンフランシスコでやりたこと

サンフランシスコ目前で寒くてテンション下がり気味だったのが、毛布に足突っ込んでB'z聞いてたらテンションがあがって眠れなくなってきたので、サンフランシスコでやりたこと、思いつく限りつぶやきたいと思います。

1.よしさんに会う。2011年カナダ横断時にキャンモアのマクドナルドの前で声をかけてくれたよしさん。
サンフランシスコでお寿司を30年握っていました。
出会った当時は、ちょっと旅行していた時期でしたが、また再び握っています。
着いたらその日の夜に、まずお店へいくつもりです。

2.エアメール書き。
毎回恒例ですが、これまで行ったところ、お世話になった方々へ。
今ここにいられることへの感謝の気持ちをこめて。

3、旅のアイテムの補強。
自転車に積むバッグがちょっと落ちやすくなっています。
(絶対落ちないようになっているんですが、ずり落ちてる状態。)
それを改善するために日曜大工店みたいなところで、幅の広めのベルトを2本購入したいです。

4、シアトルまでの道のりと日程の詳細を決定。
どこでどれだけのことをするのか、ルートはだいたい見えていますが、1日の移動距離を抑え、毎日海を見ながら、清掃できる時間を確保しつつ、1日1日街の移動をしっかり決めたいです。
ノンストップでいくのか、週1で休みいれるとかも考えます。

5、清掃のための道具の購入。最低限を手に入れておきたいと思っています。

6.お伺いする所、ボランティアに参加したいイベント、お話させてもらう(かも?)、など他にもあります。

全部楽しみサンフランシスコ!
意外と時間がなくてぼっーとしている暇がないくらいかも、
動画の編集もどんどん進めないと。

2013年6月3日月曜日

キャンプ場のテントの中。

キャンプ場のテントの中。
適当に思った事を書こうと思う。
今日自分の気持ちは結構複雑だった。
いろんな事を考えてしまった。

今やれていることは、本当に楽しいこと。
出会った人、その先の人。
僕があった事のない人まで、素晴らしいといってくれる。
こんなことは、一生に何度もできることではないと思う。
普通じゃない。
でも普通じゃないから、普通には伝わらないのかなと思う。

普通に伝える必要もないのもかもしれないけれど。。。


僕は人に喜んでもらえることをして生きたいし、楽しんでもらえることをしていきたい。
それが僕の喜びであり、楽しみであるから。
そうしている時が、自分で生かされているなって感じる時だから。

便利なものを作ったりすることは、僕には向いていないのかもしれない。
これまでになかったことをつくり、人々の生活をよくする。
そうゆうことができる人はすごいと思う。
僕には少し難しそう。
じゃあ僕の価値はなんだ?

まっすぐでいいじゃないか。



でもでも
認められたいでしょ?
はい。
愛されたいんでしょ?
はい。
寂しいのいやでしょ?
はい。
弱いでしょ?
はい。
こうなりたくないから、人に喜びや楽しみを与えようとしているじゃないの?
はい、そうです。

いかにちっぽけかは自分でよくわかっている。
でも一方で、もっともっとできるとも思っている。


ありがとう、感謝しています。
好きです、愛してます。
喜んで欲しいんです。
楽しいんで欲しいんです。

ほとんどのことがかたちにできると思う。
言葉だけじゃなく、見えるかたちにできると思っている。

だからかたちにする。
実践、実行にこだわりたい。

言葉は強さもあるけど、もろさもある。
情熱を持つこともあるし、冷酷なときもある。

僕がこうして自転車で走っているのは、ひとつの表現なんだ。
日本人としての、安部良としての。
今、僕にできる最大限の、喜び・楽しみを与えられることなんだ。
人の心に届けられる方法なんだ。

これが最終形ではない。
これははじまりなんだ。

この2年間、それまでの30年の人生では考えられない人たちの出会いがあった。
人見知り(今もそうだけど)だった僕が、外国で、ひとりで、やったことのない自転車の旅、
しかもいきなり大陸横断で、8000KMで、キャンプもしたことなくて、、、
そのうえ勝手に日本人代表してありがとうなんてメッセージつけて、、、
って、ないこと尽くしで、やろうとしていることはでかかった。

でもあのとき、ものすごいわくわくしていたんだ。
何が起こるかわからないけど、全部楽しい。
(楽しいのは今も一緒です)
そんな感情、湧いてきたことはなかった。
それだけでやった価値はあったんだろうけど、
そこで得られたのは、素晴らしい出会いであり、人。

素晴らしいなんて、言葉で言えないくらいの出会いの数々。
僕の間違いなく人生の最大の財産。
一生の宝物。
いや来生でも宝物だ。

これを得た僕は「どうしていくのか」が大事なんだ。

どこかの企業に入るのか?
いや、向いてないでしょ。
最低限必要なお金はどうするの?
それは働いていこうかなぁ。
あなたの持っているものを、Cash化できないの?
それができたらいいんですけど、まだ僕にはそのあたりのアイデアも、チカラも・・・

ところで何がしたいの?
喜んでもらえること、楽しんでもらえるもの。
それって何?
何って言われても・・・
今何か考えていることあるの?
台湾で財団が作りたい。
どんな財団?
台湾1周していたときに、日本語がものすごい上手な人がいました。でも彼は大学で日本語を学んだだけで、日本へ行ったことがないって。そんな学生のたちが他にもいるだろうから、彼らに日本へ行ってもらう援助する財団。謝謝台湾、日本人としての恩返しとして、台湾と日本の将来を担う学生たちの支援することは、もっとも価値のあることだと思うから。
じゃぁ、やれば?
いや、どうしていいのかわからないんです。自分の体験記をまとめて本にして、その著作権を財団に帰属させて、すべての印税を原資にしたいけど。。。

何か不安があるんでしょ?
はい、日本で働きながらやっていてもだめだと思っています。どうせ自分が生かされる場所なんてめったに見つけることができない。こうゆう事を考えているのを実現できる可能性なんてないんじゃないかと思っています。
なるほどね、それだけ?
このままだと、本当に生きていけるのか不安です。経済的なこととか。
じゃあどこかで働けば?って、でもあなたが生かされる場所がないって思うんでしょ?
はい。

結婚もしたいとか思っているんでしょ?
まあ人並みには。
そのままじゃ、普通の人も無理そうだね(笑)
そうかも・・・

ごく普通の考えも持ってるんだ?
はい。
それをふまえつつ、自分が違うとも思っているんだ。天邪鬼なんじゃないの?
そうかもしれません。。。でも自分の可能性は信じています。

で、結論は?

疲れてきたから寝るです。