2011年11月22日火曜日

今回の大陸横断・カナダを決めた理由

カナダの各地でメディアに取り上げていただいた内容と重複しますが、
改めて大陸横断・カナダを行なった理由をまとめておきたいと思います。

話は2011年3月になります。

2011年3月中旬、友人をがんでなくしました。
彼は41歳、奥さんもお子さんもいて、昨年の秋に家も新築したばかり。
中小企業を経営していました。
その彼が息をひきとる数日前、最後のお別れでさいたま市の病院にいたときに、震災に遭いました。

ものすごい揺れと、テレビから流れてくる津波のありえない光景、それから続く原発の事故、首都圏の大混乱。浦和は激しい揺れだけで直接の被災地ではありませんでしたが、その後2週間ぐらい体調がおかしい日々が続きました。

ちょうど3月は、それまで勤めていた保険会社から、3月いっぱいで契約うちきり、といわれていました。
保険は、人の役に立つ仕事だと、周りの保険に従事している人みんな言ってました。
素晴らしい方々いる保険業界。あこがれ就いた仕事でしたが、人の役に立ち方として、僕にとっては保険ではないとわかりました。

しかし、30歳目前で、3社を経験している事は、職業を探す際「社会的信用がない」と日本ではみなされます。それはわかっていました。実際に転職先を探しながらの採用面接で人格を否定するような言葉使い、ダメだしする面接官もいました。

でもこんな事に負けてはいられません。こうゆう人たちが言う”社会一般”や”常識”であれ、もっと多くの人が言ってる”社会一般”や”常識”であれ、そんなことで僕の能力・ポテンシャルは測れないし、僕の人生はそんなもので評価されたり、決めさせない。

「思い切って自分のやりたいことをやろう!」 
この流れは自分にとって良いチャンスだろう、すべてが自分を何かに導いているだろう、と捉えました。
自分の人生は自分で決める。自分で描いていくもの。

これまでの2度のターニングポイント以上に思い切った捉え方をしました。

それに亡くなった友人なら今天国からなんて言うでしょう?
「おまえのやりたいことやれよ!」だと思います。
彼の死に報いるのは、僕がやりたいことをストレートに取り組む事だと感じました。

以前から地球に生まれたものとして、地球ってどうゆうものなのか感じてみたいと思っていました。
地球で行ってみたいところはたくさんある。見てみたい景色、感じてみたいところたくさん。一人の地球に生まれたものとしての願望です。
大陸は地球のひとつのスケールです。
大陸を横断することは地球のひとつのスケールを自分の肌で感じる事になります。
大陸を端から端までいくことは、島国の日本では味わえません。
あこがれていました。

どうしてカナダか?
はじめはオーストラリアも考えていました。
大陸横断という発想は、ある本から得たのですが、その著者の方はオーストラリアを自転車で横断されていました。
しかし、オーストラリアは南半球なのでこれから冬。一方北米大陸のカナダは季節としてベストだし、安全なイメージもありました。それに山が好きな僕にとってはロッキー山脈を走ってみたいと気持ちもありました。


自転車で大陸横断すること・カナダを横断することはいろんな意味で注目してもらえます。しかも日本人がわざわざ飛行機で自転車積んで横断しにきたらなおさら。
注目されれば、それは何かをメッセージできるチャンスでもある。

今このタイミングで、日本人として何が伝えられるか?伝えるべきだろうか?
そこで、東日本大震災で世界中からの支援に感謝を伝えること、は自然に出てきました。

震災で亡くなった多くの方の事を思うと、「これからの日本を頼んだ」といってる気がします。
一人の日本人として、僕の振る舞いで伝えられる日本のイメージもあります。市民同士のつながりが国際関係では最も大事だと思います。 (こう考える理由は→こちら
地震・津波・原発事故と、東日本大震災でかつてないダメージを負った日本。その状態からいかに立ち直るか、それはひとりひとりにかかっているはずです。
僕は日本が好きです。日本人として、それなりの誇りを持っているつもりだし、日本のためになることがしたいと思っています。

だから自転車の後ろにメッセージと、メープルリーフと日の丸を立てながら走ることにしました。

3月に起きたさまざま出来事から、“人生” “いのち” “日本”を考え、そこから出した僕のこたえは、“大陸横断・カナダ8000キロの旅”でした。
そして、それが自転車の旅もはじめて、キャンプの経験もない、パンクの修理もテントの張り方も知らなかった者が、誰も知らない土地・カナダで、奇跡のストーリーを生んでいきました。

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